亡くなった人が有していた預貯金を払い戻すことはできるのでしょうか。
かつては,預貯金は原則として相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されるものであり,相続人間で遺産分割の対象に含めると合意してはじめて遺産分割の対象とすることができるとされていました(最高裁昭和29年4月8日判決,最高裁平成16年4月20日判決参照)。
そのため,預貯金は,共同相続人各々が自己に帰属した預貯金を単独で払い戻しすることができることができることとされていました。
もっとも,その後,最高裁判所は,平成28年12月19日の決定で,「共同相続された普通預金債権,通常貯金債権及び定期貯金債権は,いずれも,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく,遺産分割の対象となる」と判示し,判例を変更しました。
もご参照ください。)
ところが,そうなると,共同相続人が亡くなった人(被相続人)の借金等相続債務の弁済をする必要が生じた場合や,従前より被相続人から生活費等の援助・扶養を受けていたため生活資金が不足した場合,さらには,被相続人の葬儀費用を捻出できない場合であっても,預貯金を払い戻すためには遺産分割を成立させなければならないことになり,支障をきたすこととなりました。
そこで,令和元年7月1日より施行された改正法では,以下の条文が定められました。
(遺産の分割前における預貯金債権の行使)
第909条の2
各共同相続人は,遺産に属する預貯金債権のうち相続開始の時の債権額の三分の一に第900条及び第901条の規定により算定した当該共同相続人の相続分を乗じた額(標準的な当面の必要生計費,平均的な葬式の費用の額その他の事情を勘案して預貯金債権の債務者ごとに法務省令で定める額を限度とする。)については,単独でその権利を行使することができる。この場合において,当該権利の行使をした預貯金債権については,当該共同相続人が遺産の一部の分割によりこれを取得したものとみなす。
これにより,共同相続人に迅速な資金調達をする必要が生じたときに,遺産分割を行う前に,裁判所の判断を経ることなく,一定の範囲で遺産に含まれる預貯金の払い戻しをすることが可能となりました。
もっとも,全額の預貯金の払い戻しができるわけではありません。
まず,①各預貯金債権の額の3分の1に払い戻しを求める共同相続人の法定相続分を乗じた額との限度が存在します。
たとえば,
ⅰ被相続人がα銀行に600万円の普通預金を有していた
ⅱ相続人は子供A,Bの2人だけである(法定相続分はそれぞれ2分の1ずつ)
という場合には,相続人Aは600万円×3分の1×2分の1=100万円を限度として払い戻しが可能になります。
次に,②同一の金融機関に対して権利行使をすることができる金額について法務省令で定める額という上限が存在します。
この「法務省令で定める額」は,150万円と定められています(民法909条2に規定する法務省令で定める額を定める省令(平成30年法務省令第29号))。
例えば,
ⅰ被相続人がα銀行に6000万円の普通預金を有していた
ⅱ相続人は子供A,Bの2人だけである(法定相続分はそれぞれ2分の1ずつ)
という場合には,相続人Aは,①6000万円×3分の1×2分の1=1000万円という上限に加えて,②150万円という上限にひっかかることから,150万円を上限として払い戻しをすることが可能となります。
さらに,909条の2の後段は「この場合において,当該権利の行使をした預貯金債権については,当該共同相続人が遺産の一部の分割によりこれを取得したものとみなす。」とし,払い戻した預貯金は後になされるであろう遺産分割等でも考慮されることを定めました。